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ENIAC

えにあっくハード1945

真空管約18,000本を用いた、初期の大規模な電子式汎用計算機。米国で弾道計算のために作られた。配線の差し替えでプログラムする方式で、巨大な部屋を埋め尽くす物量が「計算機械」の時代の幕開けを象徴した。

年表

1943ペンシルベニア大学ムーア校でENIACの開発が始まる
19462月14日にENIACが公表され、翌日ニューヨーク・タイムズ紙の一面ニュースとなる

概要

真空管約18,000本を用いた、初期の大規模な電子式汎用計算機。アメリカ陸軍の依頼を受け、ペンシルベニア大学ムーア校でジョン・モークリーとJ・プレスパー・エッカートが中心となって開発した。機械式部品による速度低下がない、電子速度で動く初の大規模計算機とされる。

仕組み

新しい計算をさせるたびに、ケーブルを差し替えプラグボードを繋ぎ直し、スイッチを設定し直すという方法でプログラムした。この配線作業自体に何日もかかることがあり、実際にこの再配線を担ったのは当時「コンピュータ」と呼ばれた女性プログラマーたちだった。

実例

元々の開発目的は、アメリカ陸軍が必要としていた複雑な弾道計算表の作成だった。手回し計算機では12時間かかっていた弾道計算を、ENIACはわずか30秒で終えられたとされ、単純計算で1000倍以上の高速化にあたる。

時代背景

開発は1943年から始まり、1946年2月14日に公表された。翌日2月15日にはニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾るニュースとなり、これが電子式コンピュータ時代の始まりとされることが多い。真空管約18,000本という規模は、当時の戦闘機B-29爆撃機1機に搭載された全電子機器の合計の20倍以上にあたるという例えで語られるほど桁外れだった。

現在

ENIAC自体は現存せず稼働もしていないが、その最大の功績は「コンピュータは実際に作れる」ということを世界に証明した点にあるとされる。この実証が後続の技術革新を加速させ、現在のコンピュータ時代へとつながる出発点として位置づけられている。

素子真空管 約18,000本
用途弾道計算ほか

関連項目

  • ジャカード織機パンチカードに開けた穴の有無で織り模様を制御した自動織機。ジョゼフ・マリー・ジャカードが実用化した。穴=情報という発想は後のパンチカード計算機やコンピュータの記憶方式へと受け継がれ、「プログラム可能な機械」の原点とされる。
  • MOS 6502MOSテクノロジーが作った安価な8ビットCPU。低価格ゆえにApple IIやコモドール、ファミコンなど数多くの機器に採用され、家庭用コンピュータ普及期の主役の一つになった。シンプルな命令系は解析・自作の入口としても親しまれている。
  • グレース・ホッパー人間に近い言葉でプログラムを書く道(コンパイラやCOBOL)を切り開いた計算機科学者・海軍軍人。機械語を直接書く時代から、人が読める言語で書く時代への橋渡しをした。
  • ジョン・フォン・ノイマンプログラムをデータと同じメモリに置く「ノイマン型」の設計をまとめた数学者。この方式は現在のほぼすべてのコンピュータの基本構造になっている。数学から物理、計算機まで広く足跡を残した万能の天才として知られる。
  • 真空管電流の流れを制御できるガラス管の電子素子。増幅やスイッチングに使え、初期のコンピュータやラジオ・テレビを支えた。発熱と故障の多さが弱点で、後にトランジスタへ置き換わったが、その独特の灯りは今もオーディオ好きを惹きつける。

関連技術

出典