MIDI
電子楽器どうしを繋ぐ演奏データの規格。音そのものでなく演奏情報を送る方式で、DTM文化の土台を作った。
時代背景
MIDI Association公式の歴史記事によれば、発端は1981年6月、ローランド社長の梯郁太郎(Ikutaro Kakehashi)がシカゴのNAMMショーでトム・オーバーハイムに、シンセサイザー間の国際標準通信規格という構想を持ちかけたことだった。オーバーハイムはすでに自社機器専用の「Oberheimシステム」を持っていたため、梯にシーケンシャル・サーキッツのデイブ・スミスにも相談するよう勧めた。同年8月、スミスがオーバーハイムの事務所を訪ね、自身のAES論文の内容を事前に見せ、より安価で汎用的な仕組みへの関心を確認し合った。10月には東京の楽器フェアで、スミス・オーバーハイム・ライルの3人が、ローランド・ヤマハ・コルグらと極秘に会合し、通信速度・データ形式・コネクタ規格・グラウンドループ対策について議論した。
概要
1982年1月、アナハイムでの冬季NAMMショーに合わせて、SCI・ローランド・オーバーハイム・ヤマハ・コルグ・カワイなど多数のメーカーが参加する会議が開かれた。ここでUSI(ユニバーサル・シンセサイザー・インターフェース)案に対し、グラウンドループ防止のためのオプトアイソレーション(光絶縁)の追加と、通信速度を31.25kBaudへ引き上げる変更が決まった。続いて日本企業側から、ステータスバイトとデータバイトを最上位ビット(第7ビット)で区別する、より単純なデータ構造を持つ代替案が提示された。この方式は、データ種別を判別するための煩雑なチェックを不要にする一方、データ自体は7ビットに制限されるが、ほとんどの演奏データには十分だとされた。スミスとチェット・ウッドがUSI案と日本側の提案を統合し、これが最初のMIDI仕様になった。
小話
MIDIの開発は、ロバート・モーグが1982年10月のKEYBOARD誌のコラムで最初に公表した。1983年12月、シーケンシャル・サーキッツがMIDI搭載機器として初めて商業出荷したのはProphet-600だった。1983年冬のNAMMショー(1月21〜23日、アナハイム)では、Prophet-600とローランドのシンセサイザーを接続する実演が行われ、MIDIが業界に広く認知される転機になった。