阪神・淡路大震災
はんしんあわじだいしんさい出来事1995
1995年1月に近畿地方を襲った大震災。インターネットや携帯電話がまだ普及途上だった時代の災害で、情報伝達の難しさが課題として残り、後の防災・通信のあり方を考える契機にもなった。
概要
1995年1月17日午前5時46分52秒、兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)が発生した。震源は淡路島北部沖の明石海峡、深さ16キロメートル。阪神間と淡路島の一部では戦後初めて震度7が適用された。兵庫県の公式報告書によれば、死者6,434名、全半壊家屋約25万棟という大規模な被害をもたらし、ピーク時は約31万人が避難所での生活を強いられた。
文化的な位置づけ
兵庫県公式検証報告書によれば、震災直後より全国から数多くのボランティアが駆け付け、震災後1ヶ月間は1日平均2万人、震災後1年間では137万7千人が活動した。活動内容は避難所の運営支援・救援物資の搬出入・炊き出しから、仮設住宅への友愛訪問・外出介助・清掃活動・こころのケアまで多岐にわたった。同報告書は「過去にない多くのボランティアが駆け付けた」「学生や社会人等それまでボランティアの経験がなかった人が多数参加した」「ボランティアが行政を補完する重要な役割を果たした」ことから、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれていると説明している。一方で、発災直後はボランティアニーズとボランティアを効果的に結びつけることができなかったとも指摘されており、想定を超える規模の災害・ボランティア活動の不慣れ・受け入れ体制の不備などが課題として挙げられている。
関連項目
- 東日本大震災2011年3月に発生した大災害。TwitterなどのSNSが安否確認や情報共有で大きな役割を果たし、ソーシャルメディアが社会インフラの一部として認識される契機になった。情報技術と防災の関わりを改めて問うた出来事。