デニス・リッチー
C言語を作り、UNIXの開発を主導した計算機科学者。彼の作った言語とOSは半世紀後の現在もあらゆる機器の土台で動き続けており、現代のソフトウェアの基礎を築いた人物の一人。
時代背景
リッチー本人が執筆した論文「The Development of the C Language」によれば、GE・Bell研究所などが共同開発していた大規模OS「Multics」計画は1969年までに、実現があまりに遅く高くつくと社内で見なされるようになった。Multics機(GE-645)が撤去される前から、ケン・トンプソンを中心とする非公式のグループが代替案を探り始めていた。トンプソンはMulticsの革新的な要素(プロセスの概念・木構造のファイルシステム・ユーザーレベルのコマンドインタプリタなど)を踏襲しつつ、自分好みの快適な計算環境を作ろうとした。当初使えるハードウェアは1968年に使い始めたDEC PDP-7(18ビット・8Kワードのメモリ)という質素な環境で、トンプソンはPDP-7のアセンブラでUNIXの原型を書いた。
概要
1967年にベル研究所でケン・トンプソンと出会ったリッチーは、ハーバード大学で物理学の学位を得たエンジニアだった。二人の異なる背景がバッチ処理に代わるマルチタスキング対応OSの開発を後押ししたとされる。1972年にリッチーがC言語の原版を完成させ、その後トンプソンがUNIXカーネルをCで書き直した(Ritchie本人の記述では、この経緯はMulticsからの離脱とPDP-7上でのUNIX原型開発の流れの延長線上にある)。これによりUNIXは複数のコンピュータ環境に移植可能になった。ベル研究所に40年間勤務し、システムソフトウェア部門のトップとして2007年に退職した。
現在
1983年にケン・トンプソンとともにACM(計算機協会)のチューリング賞を受賞。1998年にはビル・クリントン大統領から国家技術賞を授与され、日本国際賞も受賞している。2011年10月12日に70歳で死去した。
| 業績 | C言語・UNIX |
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関連項目
- C言語デニス・リッチーがUNIX開発のために作った汎用言語。ハードウェアに近い操作ができつつ移植性も高く、OSや組み込みなど低レイヤの定番として現在も使われ続けている。後の多くの言語の文法の祖でもある。
- UNIXベル研究所で生まれたOS。小さな道具を組み合わせて使う思想や、ファイルを中心とした設計が後の多くのOSに受け継がれた。C言語とともに育ち、現代のmacOSやLinuxにまでその系譜が続いている。
- アラン・チューリング計算とは何かを理論的に定式化した数学者。「チューリングマシン」という抽象モデルは今もコンピュータ科学の土台になっている。第二次大戦中の暗号解読でも知られ、計算機の理論と実践の両面に深い影響を残した。
- ケン・トンプソンリッチーとともにUNIXを作り、その前身となるB言語やエディタの原型も手がけたプログラマ。実用的で美しいソフトウェアを生み出す名手として知られ、後にGoogleでGo言語の開発にも関わった。